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大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)833号 判決

原告 水野晋 外二名

被告 白井昇

主文

一  被告は、

1  原告水野晋に対し、二、二七〇万五、二八二円及び内金二、〇七〇万五、二八二円に対する昭和四五年三月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、

2  原告水野晋也及び同水野智加子に対し、各一〇〇万円及び右各金員に対する昭和四五年三月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、

各支払え。

二  原告水野晋のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告水野晋と被告の間においては、原告水野晋に生じた費用の三分の二を被告の負担とし、被告に生じた費用の六分の一を原告水野晋の負担とし、その余は各自の負担とし、原告水野晋也及び同水野智加子と被告との間においては全部被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は、

(一) 原告水野晋に対し、三、五〇〇万円及び内金三、三〇〇万円に対する昭和四五年三月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、

(二) 原告水野晋也及び同水野智加子に対し、各一〇〇万円及び右各金員に対する昭和四五年三月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を、

各支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに第1項につき仮執行の宣言。

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告水野晋也と同水野智加子は、夫婦であり、原告水野晋は、同夫婦の子(二男)であり、被告は、大阪市旭区新森小路中一丁目一〇番地において産婦人科医院を開業している医師である。

2  原告智加子は、昭和四三年春ころ原告晋を妊娠し、同年四月一二日被告医院において被告の診察を受け、以後毎月一回位の割合で被告医院に通院し、同年一二月一一日被告医院に入院して翌一二日午前四時三〇分ころ原告晋を出産した。原告晋は、出生時体重三、八六〇グラム、身長五三センチメートル、胸囲三五・五センチメートルの全く正常な新生児であつた。

ところが、原告晋は、母の原告智加子のRH式血液型(以下RHという。)が陰性であり、父の原告晋也がRH陽性であつたため、母児間にRH不適合を生じ、そのため新生児溶血性疾患に罹患し、出生の翌日である同月一三日午前七時ころから右疾患の溶血現象による黄疸が現われ、時間の経過とともに次第にその黄疸が重症化したので、翌一四日大阪市東淀川区淡路本町一丁目五七番地所在淀川キリスト教病院に転院し、直ちに三回にわたる交換輸血の手術を受けたが、その効なく、現在新生児溶血性疾患によつて惹き起こされた核黄疸により、脳性小児麻痺の後遺症が残つている。

3  原告晋が脳性小児麻痺になつたのは、被告の次のような業務上の過失によるものである。

(一) 一般に、原告智加子が被告の診察を受けた昭和四三年当時の医学水準からすれば、夫がRH陽性で、妻がRH陰性である場合、その夫婦の第二子以降の出産児は、RH不適合に基づく新生児溶血性疾患による黄疸の重症化進行速度が速く、早期に交換輸血がなされない限り、その新生児は死亡するか、あるいは仮に助かつたとしても脳性小児麻痺になる可能性が大きいこと、しかし出生後早期に交換輸血が実施されれば、右のような新生児死亡あるいは脳性小児麻痺の発生を、確実に防止できることが明らかであつた。

したがつて、被告は、産婦人科の医師として、RH不適合に基づく新生児溶血性疾患による重症黄疸発生の可能性を予見するため、自己が診察している原告智加子に対し、同原告のRH式血液型を分娩前に検査し、その結果RH陰性であることが判明すれば、出生後直ちに交換輸血が実施できるよう準備し、もつて右疾患による新生児死亡あるいは脳性小児麻痺の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたにもかかわらず、漫然とこれを怠り分娩前の検査をしなかつたため、前記のように原告晋の黄疸が重症化するまで、同原告がRH不適合に基づく右疾患に罹患していることを認識しえず、したがつて出生後直ちに交換輸血を実施できるよう準備することもできず、同原告の黄疸が重症化してから初めてその異常なることに気付き、あわてて同原告を淀川キリスト教病院に転院させ、同院において交換輸血を受けさせたのであるが、その時期を逸し、同原告が脳性小児麻痺になつたのであるから、被告には、原告智加子のRH式血液型を分娩前に検査せず、ひいては交換輸血の準備も出産前にしていなかつた点に過失があることを免れない。

(二) また、一般に当時の医学水準からすれば、新生児がRH不適合に基づく溶血性疾患に罹患した場合には、その臨床所見として、出生後早期に黄疸が現われるから、このような場合には、産婦人科医として一応右疾患の発生に疑念を抱き、両親及び新生児のRH式血液型を検査するのみならず、新生児の血清ビリルビン値を測定して、その臨床経過を観察し、右測定値が一定値に達したときには直ちに交換輸血を行なう必要があることが明らかであつた。

したがつて、被告は、原告晋がその出生の翌日早くも黄疸症状を呈していたことに気付いていたのであるから、産婦人科の医師として、当然RH不適合に基づく右疾患の発生に疑念を抱き、直ちに原告智加子、同晋也及び同晋のRH式血液型を検査するとともに、原告晋の血清ビリルビン値を測定して、その臨床経過を観察し、右測定値が一定値に達した場合には直ちに交換輸血を行ない、もつて右疾患による新生児死亡あるいは脳性小児麻痺の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたにもかかわらず、漫然とこれを怠り、前記のように原告晋の黄疸が重症化してから初めてその異常なることに気付き、あわてて同原告を淀川キリスト教病院に転院させ、同院において交換輸血を受けさせたのであるが、既に交換輸血の適応時期を逸していたため、同原告が脳性小児麻痺に罹患したのであるから、被告には、原告晋に黄疸が現われた段階で直ちに右RH式血液型の検査、血清ビリルビン値の測定等をしなかつた点に過失があつたことを逸れない。

したがつて、被告は、原告らが後記のとおり被つた損害につき、不法行為者として、これを賠償すべき義務がある。

4  仮りに、前項の請求が理由のないものとしても、原告晋が脳性小児麻痺になつたのは、被告の次のような債務不履行によるものであるから、いずれにしても、被告は、原告らの後記損害を賠償すべき責任を免れることができない。

原告晋也及び同智加子は、被告との間に昭和四三年四月一二日原告智加子が妊娠の診察を受けた際、心身に異常のない子が出生できるよう被告に診療を依頼するとともに、もし子の心身に異常があれば被告にその診療をも依頼する旨の診療契約を、さらに同年一二月一二日原告晋が出生した際、同原告の法定代理人として、同原告に心身の異常があれば被告にその診療を依頼する旨の診療契約を、それぞれ締結した。

ところで、被告は、産婦人科の医師として、前記医学上の理由から、RH不適合に基づく新生児溶血性疾患による新生児死亡あるいは脳性小児麻痺の発生を未然に防止するため、原告智加子のRH式血液型を分娩前に検査し、その血液型が陰性の場合は、分娩後遅滞なく交換輸血を施行できるような治療措置を講ずべき義務、あるいは原告晋がその出生した翌日異常な黄疸症状を呈した段階で、直ちに原告晋也、同智加子及び同晋のRH式血液型を検査するとともに、原告晋の血清ビリルビン値を測定して、その臨床経過を観察し、右測定値が一定値に達したときには直ちに交換輸血を実施すべき義務を負つていたのであるが、右各義務は、いずれも被告が原告らとの間で締結した前記診療契約上負担している債務の内容をなすものというべきところ、被告が右各義務をいずれも怠り、そのため原告晋が脳性小児麻痺になつたことは前記のとおりであるから、被告は、右債務不履行によつて原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

5  原告晋は、被告の前記医療上の過誤により、脳性小児麻痺となつて将来治癒する見込みがなく、したがつて生活能力を回復しうることも全く不可能な状態にあるが、そのために原告らが被つた損害は、次のとおりである。

(一) 原告晋について

(1)  逸失利益

原告晋は、本訴提起当時満一才の男子であり、厚生大臣官房統計調査部編「昭和四一年簡易生命表」によれば、満一才の日本男子の平均余命年数は、六八・七八年であるから、原告晋も今後少なくとも六八年は生存することが可能であり、義務教育終了後満一八才から少なくとも満六三才まで就労して一定の収入を得べかりしところ、前記のとおり脳性小児麻痺のため稼働能力を喪失し、右得べかりし利益を逸失した。

ところで、労働省労働統計調査部編昭和四六年度賃金センサス第一巻、第一表によれば、産業計、学歴計、企業規模計の男子労働者の年令別の収入は、別紙計算書記載のとおりであるが、原告晋も、将来少くとも右統計にみられる年令ごとの平均賃金に相当する収入を得ることができたものというべきであるから、同原告の逸失利益は、別紙計算書記載のとおり一、九四九万五、六六六円となる。

(2)  付添看護費用

原告晋は、脳性小児麻痺のため生活能力がなく、生涯付添看護人がいなければ、その生命の維持が困難である。したがつて、同原告は、生涯付添看護費として、一日につき少なくとも、一、〇〇〇円(年額三六万五、〇〇〇円)以上出損しなければならないので、そのうち満八才から平均余命年数である満六八才までの間に要する付添看護費用を損害として請求することとし、右六〇年間の付添看護費用の総額からホフマン式計算法(年毎複式)により年五分の割合による中間利息を控除して、右損害額の満一才時の現価を求めれば、八五三万一、八七五円となる。

なお、満一才から満八才までは、幼児として通常両親の看護を受けているから、この七年間の付添看護費用は請求しない。

(3)  慰藉料

原告晋は、この世に生をうけながら、その生涯を生ける屍として過さねばならず、これはその生命を失うこと以上の苦しみである。同原告のこのような精神的苦痛に対する慰藉料は、五〇〇万円をもつて相当とする。

(4)  弁護士費用

原告晋は、原告晋也及び同智加子を法定代理人として、本件訴訟の提起と追行を本件原告ら訴訟代理人に委任し、その際着手金として二〇万円、成功報酬として判決認容額の一割相当額を支払うことを約したが、右弁護士費用出捐による損害として、そのうち二〇〇万円を請求する。

(二) 原告晋也及び同智加子について

右原告ら両名は、せつかく標準以上の体格をした新生児原告晋を授りながら、その喜びは、本件医療過誤により原告晋が脳性小児麻痺になつたため、一転して悲しみに変わり、その精神的苦痛は筆舌に尽くし難いものがある。右原告ら両名のこのような精神的苦痛に対する慰藉料は、各一〇〇万円をもつて相当とする。

6  よつて、被告に対し、本件医療過誤に基づく損害賠償として、原告晋は、第5項(一)の(1) ないし(4) の損害額の合計三、五〇二万七、五四一円の内金三、五〇〇万円及び右内金から弁護士費用二〇〇万円を控除した三、三〇〇万円に対する本件訴状送達の翌日である昭和四五年三月一三日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求め、原告晋也及び同智加子は、各自、第5項(二)の損害額一〇〇万円及びこれに対する前同様の遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する被告の答弁並びに主張

1  答弁

(一) 請求の原因1同2の事実は、いずれも認める。

(二) 同3の事実は、いずれも知らない。被告に業務上の過失があつたとの原告らの主張は争う。

なお、被告が、原告智加子のRH式血液型を検査しなかつたのは、初診時同原告が、被告の問診に対して右血液型が陽性である旨確答していたため、被告としては、それ以上検査する必要性を認めなかつたからであり、被告に原告ら主張のような過失がなかつたことは、後記主張のとおりである。

(三) 同4の事実のうち、被告が原告らとの間にその主張のような契約を締結したことは認めるが、その余の事実は知らない。被告に債務不履行があつたとの原告らの主張は争う。

なお、被告に原告ら主張のような債務不履行がなかつたことは、後記主張のとおりである。

(四) 同5の事実のうち、原告晋の本訴提起時の年令及び平均余命年数は認めるが、その余は争う。

2  主張

(一) 原告らは、被告の業務上の過失あるいは債務不履行の具体的内容として、まず、被告は、原告智加子のRH式血液型を分娩前に検査してRH不適合に基づく新生児溶血性疾患発生の可能性を予測し、右血液型が陰性の場合、分娩後遅滞なく交換輸血が実施できるような措置を講ずべき義務があつたにもかかわらずこれを怠つた旨主張している。

しかしながら、母児間にRH不適合があつたとしても必ずしも右疾患をきたすものではなく、わが国では右疾患の発生率は〇・〇〇六パーセントないし〇・〇一五パーセント、即ちおよそ一万例のお産に一ないし二例程度にしかすぎないのであるから、右疾患の発生を事前に予測する必要性は極めて低いものといわざるをえないのであり、またRH不適合に基づく右疾患の診断の要蹄は、新生児に早期にあるいは強度に黄疸を認めた場合、一応本症を疑い、患児のモロー反射、血清ビリルビン値、哺乳力、嘔吐等の臨床症状の経過を観察して交換輸血の適応を決定することであつて、両親のRH式血液型の検査は、交換輸血の適応を決定するうえで唯一、不可欠のものではないから、必ずしも分娩前に原告智加子のRH式血液型を検査して右疾患の発生を予測しなければならない法律上の義務はないものというべく、したがつて被告が前記のような理由により、同原告のRH式血液型を分娩前に検査しなかつたことをとらえ、そのこと自体で、直ちに被告に業務上の過失あるいは債務不履行があつたものということはできない。

(二) 次に、原告らは、同じく被告の過失あるいは債務不履行の具体的内容として、原告晋が出生後早期に黄疸の症状を呈していたにもかかわらず、漫然と観察していただけで、同原告に対する血清ビリルビン値の測定等必要な検査を怠つた旨主張している。

しかしながら、被告は、原告晋に出生の翌日である昭和四三年一二月一三日の午前七時ころ黄疸が現われていることを認めたが、右黄疸はいわゆる早発性黄疸であつたから、これに留意して同原告に対する観察を怠りなく続けたところ、哺乳力も良好で臨床上さしたる異常も認められなかつたので、この時点では原告ら主張のような諸検査を行なう必要がなかつた。しかし、翌一四日の午前九時ころ同原告の黄疸が著しく増強しているのが認められたので、被告は原告智加子のRH式血液型の告知に疑問を抱き、直ちに同原告の右血液型を検査したところ、意外にもRH陰性であることが判明したので、RH不適合に基づく新生児重症黄疸と診断し、直ちに交換輸血を実施するため、原告晋を淀川キリスト教病院に移送したものであつて、被告がとつたこれら一連の処置に産婦人科医としての義務になんら欠けるところはなかつたものというべきである。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  原告晋也と同智加子が夫婦であり、被告が産婦人科の開業医であること、原告智加子が昭和四三年春ころ原告晋を妊娠し、同年四月一二日から毎月一回位の割合で被告の診察を受け、同年一二月一二日午前四時三〇分ころ被告医院において原告晋を出産したこと、右分娩は全く正常なものであつたこと、原告晋が、父の原告晋也がRH陽性であり母の原告智加子がRH陰性であつたため、母児間のRH不適合に基づく新生児溶血性疾患に罹患し、翌一三日午前七時ころから右疾患のため黄疸症状を呈したこと、右黄疸が時間の経過にともない重症化したため、原告晋は、翌一四日淀川キリスト教病院に転院し、同院において交換輸血を受けたが、完治せず、現在右疾患によつて惹き起こされた核黄疸により脳性小児麻痺の後遺症が残つていること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、原告らの、原告晋が脳性小児麻痺になつたのは被告の業務上の過失によるものであるとの主張について判断する。

1  成立に争いのない甲第二号証、第四号証、第八号証の一ないし三、乙第二号証、第七、第八号証、証人合瀬徹の証言及び被告本人尋問の結果を総合すれば、次のような事実を認めることができる。

(一)  母がRH陰性であり、父がRH陽性である場合には、RH不適合児を妊娠することになり、母児間にこのようなRH不適合があると、その発生率は極めて低いか、新生児溶血性疾患をきたす場合がある。

(二)  右疾患に罹患した新生児は、適切な時期に交換輸血がなされない限り、溶血によつて生じた間接ビリルビンが脳実質ことに脳底諸核に沈着することにより、核黄疸になり、それによつて直接死亡するか、あるいは死亡を免れても脳性小児麻痺の後遺症が残り不具を免れないことが少なくない。

(三)  右疾患に対する治療方法としては、今日交換輸血にまさるものはなく、適切な時期に交換輸血がなされると、核黄疸による死亡あるいは脳性小児麻痺の発生を、ほぼ確実に防止することができる。

(四)  ところで、右疾患は、通常生後速かに黄疸、貧血が増強し、生命に対する重大な影響を及ぼすことが特徴であり、両親のRH因子が検査されずに不明の状態で患児が生まれた場合、すなわち生後はじめてRH不適合により右疾患が発生したことが判明した場合には、既に交換輸血の適応時期を逸し、交換輸血を実施したとしても、患児は死亡に至るか、あるいは脳性小児麻痺になる危険な状態に陥入つていることが多い。

(五)  そのため、被告が原告智加子を診察した昭和四三年当時、既に医学界では、右疾患が発生した場合、時期を逸することなく交換輸血を実施することができるように、右疾患を早期に診断することが必要であり、その早期診断ひいては交換輸血の実施のために、次のような諸検査が現実に実施され、あるいは実施さるべきであるとの知識が、一般的に普及していた。

(1)  妊婦の血液型の検査

まず、妊婦の血液型を、分娩前ABO式のみならずRH式についても検査し、もし妊婦がRH陰性であれば、続いて以下の諸検査をなすことが必要であるから、妊婦のRH式血液型の検査は、右疾患を早期診断するために実施される以下の諸検査の前提をなし、かつ必要不可欠のものである。

(2)  配偶者のRH式血液型の検査

(3)  過去の妊娠分娩歴及び輸血歴の調査

RH不適合による新生児溶血性疾患の発生頻度は、妊婦がそれより以前にRH不適合輸血を受けたことがある場合には、初回妊娠からも右疾患に罹患しやすいが、一般的にはその妊娠回数を重ねるに従つて増加するものであるから、過去の妊娠分娩歴及び輸血歴を詳細に調査する。

(4)  妊娠中の調査

胎児が右疾患に罹患しているか否かは、母血清中のRH抗体価及び羊水中のビリルビン量によつて推定される場合もあるから、分娩前に右RH抗体価およびビリルビン量を検査する。

(5)  新生児の検査

分娩直後には、臍帯血を採取して、ヘモグロビン、直接間接ビリルビン、血液型、直接間接COOMBS試験、網状赤血球数を検査し、右疾患に罹患の有無ひいては交換輸血適応決定についての重要な参考資料とする。

(6)  新生児の臨床経過観察

(5) の検査結果を考慮のうえ、新生児の黄疸、貧血、浮腫、肝脾腫大、モロー反射、血清ビリルビン値、ヘモグロビン値、網状球数、哺乳力、嘔吐等の臨床経過を逐時的に観察し、交換輸血の適応を決定する。

なお、プラハは、核黄疸の症状をその経過に従つて四期に分けることを提唱し、この考え方は現在核黄疸の早期診断及び交換輸血の実施に利用され、その第一期というのは、筋緊張の低下、嗜眠及び哺乳力減退を認める時期で、交換輸血の適応期とされ、この時期に交換輸血を実施すれば脳性小児麻痺等の発生を予防することができるが、筋強直、発熱が認められる第二期以降に進展した場合には、現在においても未だ適切な治療法は見当たらない。また、核黄疸と血清ビリルビン値との間に相関関係が認められ、成熟児の場合、右測定値が二〇ないし二五ミリグラム・/デシリットル以上になれば、直ちに交換輸血を実施すべきである。

(六)  淀川キリスト教病院は、昭和三五年ころから右疾患の早期診断のため、全妊婦に対してRH式血液型の検査等前項記載の諸検査を完全に実施し、重症黄疸児に対する交換輸血を多数成功した実例を有しているが、昭和三七年ころ自ら中心になつて日本母子血液型センターを結成して、右疾患の早期診断の必要性、治療方法(交換輸血)等について全国的に啓蒙活動を行なつていた。

(七)  大阪市は、昭和四一年から妊婦に交付する母子健康手帳にABO式及びRH式の血液型の検査項目欄を設け、妊産婦健康診査の際、ABO式のみならずRH式の血液型を検査し、血液型不適合が起こる可能性がある場合には、医師と相談するよう指導していた。

(八)  なお、RH式血液型の検査は、昭和三六年から四〇年ころまではRHの試薬の入手が困難であつたり、試薬そのものが高価であつたりしたため、一般に行なわれていなかつたが、昭和四〇年以降はそのような事情が一応解消されたため、大病院のみならず、次第に産婦人科の開業医の間でも行なわれるようになり、被告自身も昭和四三年七月ころから右検査を行なつていた。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

2  一般に、産婦人科の医師は、妊婦及び胎児の生命、健康を管理すべき業務に従事しているのであるから、その業務の性質に照らし、妊婦が母児ともに心身に異常なく出産できるように、その診察時におけるわが国の医学知識ないし医療水準等からみて実験上必要とされる最善の注意を尽くすべき義務があるものと解すべきところ、これを本件についてみるに、右認定の事実関係からすれば、両親のRH式血液型が検査、確認されないままRH不適合に基づく新生児溶血性疾患が発生した場合には、右疾患の臨床的特徴からして交換輸血の適応時機を失して手遅れになり勝ちであり、重症の場合には患児の臨床経過観察をまたずに出生後直ちに交換輸血を実施すべき場合すらあるのであるから、被告は、産婦人科の医師として、RH不適合に基づく右疾患による新生児死亡あるいは脳性小児麻痺の発生を確実に防止するために、右疾患をできるだけ早期に診断して交換輸血の適応時期を失することのないようにすべきであり、したがつて原告智加子を診察した際、同原告があるいはRH陰性であつて、そのため母児間のRH不適合に基づく右疾患に罹患する場合があることを予想して、同原告のRH式血液型を分娩前に検査し、同原告がRH陰性であれば続いて前認定のような諸検査を実施して右疾患の早期診断に努めるのみでなく、右疾患が発生した場合には適切な時期に交換輸血を実施するか、自らこれができないときは交換輸血のできる施設に患児を移して時期を逸することなく交換輸血を受けさせ、右疾患による新生児死亡あるいは脳性小児麻痺の発生を未然に防止すべき注意義務があつたものと解すべきである。

3  なお、被告は、RH不適合に基づく右疾患の発生率が極めて低いから、その発生を予測する必要度は極めて小さいこと並びに妊婦のRH式血液型を分娩前に検査することは、交換輸血適応決定のうえで、唯一、不可欠のものではないことを理由に、妊婦のRH式血液型を分娩前に検査すべき義務はない旨主張する。

しかしながら、RH不適合に基づく右疾患は、前認定のとおり、一度発生すれば、適切な時期に交換輸血がなされない限り核黄疸を惹き起こし、死亡または脳性小児麻痺になる原因となることが少なくないのであるから、そのことを思えば、いかに発生率が被告主張のように低いとしても、右疾患の発生を予測する必要性は決して小さくはないのであり、また妊婦のRH式血液型を分娩前に検査することは、前認定のとおり右疾患の早期診断のために必要な諸検査の前提をなすものであつて、交換輸血適応決定のうえで不可欠のものであるから、被告の右主張は理由がなく、失当として排斥するほかない。

4  進んで、被告が産婦人科の開業医として前示注意義務を尽くしたか否かについて判断するに、前記当事者間に争いない事実に成立に争いのない甲第一ないし第三号証、乙第一号証の一ないし四、証人合瀬徹の証言、原告智加子本人尋問の結果及び被告本人尋問の結果の一部(後記措信しない部分を除く。)を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告は、昭和四三年四月一二日原告智加子を診察した際、過去の分娩歴等を調べたうえ、ABO式血液型について問診し、同原告がO型であることを確認したが、RH式血液型については問診をしなかつた。

(二)  その後、被告は、同原告が同年一二月一二日分娩するまで毎月一回位の割合で同原告を診察したが、同原告が同年八月五日持参した母子健康手帳のABO式及びRH式血液型に関する検査結果記入欄が空白のままになつていることに気付きながら、ABO式血液型欄に「O」と記入しただけで、同原告のRH式血液型については格別問診、検査するなどして確認することをしなかつた。

(三)  そのため、被告は、原告晋の出生の翌日である同年一二月一三日午前九時ころ同原告の顔面、胸部及び腹部に黄色調の黄疸が現われていることに気付きながら、右黄疸がRH不適合に基づく新生児溶血性疾患によるものであることを診断しえず、右黄疸に一応の注意を払いながらも、血清ビリルビン値の測定等臨床症状を逐時的に観察することなく、漫然と右同日を経過してしまつた。

(四)  ところが、翌一四日原告晋の黄疸症状がさらに進行し、四肢末端、手掌足蹠にも現われたため、被告は、ようやくその異常なることに気が付き、同日午前九時ころ母の原告智加子のRH式血液型を検査し、その結果はじめて同原告がRH陰性であり、右黄疸がRH不適合に基づく新生児溶血性疾患によるものであると診断し、同日午前一〇時ころ交換輸血の手術を受けさせるため、原告晋を淀川キリスト教病院に転院する措置をとつた。

(五)  原告晋は、淀川キリスト教病院で直ちに検査を受け、ここでもRH不適合に基づく右疾患による重症黄疸と診断されたが、転院当時血清ビリルビン値が既に三二・〇ミリグラムあり、四肢硬直、モロー反射制限、落陽現象等がありプラハのいわゆる核黄疸第二期の症状に入つていたため、同日午後二時四〇分から翌一五日午後一二時五〇分にかけて三回にわたる交換輸血の手術を受けたが、死を免れたものの、右疾患によつて惹き起こされた核黄疸により、現在脳性小児麻痺の後遺症が残されている。

以上の事実が認められ、被告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は、前掲各証拠と対比してにわかに措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

5  右事実によれば、被告は、原告智加子に対し、分娩前に同原告のRH式血液型の検査等RH不適合に基づく新生児溶血性疾患の早期診断に必要な諸検査をなんら実施していなかつたため、ひいては交換輸血の時期を逸したことが明らかであり、したがつて被告には産婦人科の開業医としての前記注意義務を怠つた過失があるものというべきである。

なお、被告は、被告が原告智加子のRH式血液型を分娩前に検査しなかつたのは、初診時同原告が被告の問診に対してRH陽性であると確答していたから、その必要性がなかつたためである旨主張し、前掲乙第一号証の一には右主張に符合する記載部分があり、被告本人も右主張に副う供述をしているが、これらはいずれも原告智加子本人尋問の結果と対比してにわかに措信できず、他に右事実を認めるに足る証拠はなく、かえつて被告はそのような問診すらもしていなかつたこと前認定のとおりであるから、被告の右主張は理由がない。

6  してみると、被告は、前記注意義務を怠つた過失により、原告晋のRH不適合に基づく新生児溶血性疾患を早期に診断することができず、そのため前認定のように交換輸血の時期を逸し、同原告をして脳性小児麻痺に陥らせたものであるから、そのことにより原告らが被つた後記損害を賠償すべき責任を免れることはできないものというべきである。

三  次に、被告が賠償すべき原告らの損害額について判断する。

1  原告晋について

(一)  逸失利益

原告晋が本訴提起時満一才であり、その平均余命年数が満六八才であることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証、第三号証、第九号証、第一二号証、昭和四七年一〇月三日原告晋を写した写真であることに争いのない検甲第一、二号証、証人合瀬徹の証言、原告智加子本人尋問の結果及び検証の結果を総合すれば、脳性小児麻痺は、その程度に軽重があるけれども、通常運動機能のみでなく、知能発育面にも障害をもたらし、現在の医学では生涯完全に治癒する可能性はないこと、原告晋は、遅くとも生後満一一月の昭和四四年一一月一〇日には、脳性小児麻痺の後遺症が固定したこと、原告晋也及び同智加子は、昭和四三年一二月二九日原告晋が淀川キリスト教病院から退院した後、同原告に付添つて日夜同原告の食事、用便等の日常生活の世話をし、昭和四五年二月ころから同原告を大阪府守口市にある若草園に入園させて、機能回復の訓練をさせていること、その結果、原告晋は、ある程度運動機能を回復しつつあるが、生後四才七か月の現在でもなお下半身の発育は不良で、坐ることができても一人で立つことはできず、会話は殆んど不可能な状態であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、原告晋は、健康児であれば、将来少なくとも一八才から六三才までの間就労して、その間一定の収入(利益)を得ることができたものと解されるところ、本件不法行為に基づく右脳性小児麻痺の後遺症のため、その生涯にわたり就労能力を喪失したものと認められるから、右得べかりし利益をすべて逸失したものというべきである。

ところで、成立に争いのない甲第一一号証によれば、昭和四六年度における一八才の男子労働者(学歴計)の産業計、企業規模計の平均給与額は、年額五八万七、〇〇〇円であることが知られ、したがつて、原告晋も、右後遺症がなければ、右就労期間中少なくとも右程度の収入を得ることができたものと認めるのを相当とするから、ホフマン式計算法(年毎複式)により年五分の割合による中間利息を控除して、右期間の逸失利益総額の現価を求めると、九二五万六、二二六円となる。

なお、原告らは、右逸失利益は、原告晋の収入が統計上の年令ごとの平均給与額に即応して変動することを前提に算定すべきである旨主張し、右算定方法が将来の昇給を考慮したものであることは明らかであるが、原告晋のように幼児の逸失利益は、稼働開始期がかなり先であり、しかも相当長期にわたり稼働を続けるため、実際のところ、その幼児がいかなる職業に就き、経済の変動につれどの程度の収入を取得し続けることができるのかは、殆んど具体的に予測することができないのであるから、蓋然性を高めるため控え目に算定すべきであり、したがつて前説示のように少なくとも稼働開始期(一八才)の平均給与額をその就労可能期間中取得できたものとして算定するのが相当であり、将来の不確定な昇給を考慮するのは相当ではないから、原告らの右主張は採用できない。

(二)  看護費用

原告晋は、前認定の事実によれば、生涯付添看護人がいなければその生命の維持が困難であると認められるから、その主張どおり満八才から平均余命年数である満六八才までの間に要する看護費用を、損害として被告に請求できるものと認めるのを相当とするところ、弁論の全趣旨によれば、右費用は、少なくとも一日につき一、〇〇〇円(年額三六万五、〇〇〇円)であると認められるから、ホフマン式計算法(年毎複式)により年五分の割合による中間利息を控除して、右費用の総額の現価を求めると、八四四万九、〇五六円となる。

(三)  慰藉料

原告晋は、前認定のように現在脳性小児麻痺の後遺症により種々の機能障害があり、正常な身体の発育も著しく遅れているのであるが、生涯右後遺症に苦しむであろうことは容易に推認される。同原告のこのような精神的苦痛に対する慰藉料は、諸般の事情に鑑み三〇〇万円をもつて相当とする。

(四)  弁護士費用

成立に争いのない甲第七号証及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告らは、本訴提起前被告に対し、本件不法行為に基づく損害賠償を請求したが、被告がこれに応じなかつたため、止むを得ず原告晋が、原告晋也及び同智加子を法定代理人として、本件訴訟の提起と追行を本件原告ら訴訟代理人に委任し、その際着手金として二〇万円、成功報酬として判決認容額の一割相当額を支払う旨を約した事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右事実によれば、原告晋が負担、支払うべき右弁護士費用は、本件不法行為と相当因果関係のある損害と認めるのを相当とし、その額は、本訴認容額、訴訟の経緯等に照らし、二〇〇万円をもつて相当とする。

2  原告晋也及び同智加子について

右原告らが、脳性小児麻痺の後遺症に苦しむ原告晋に付添つて、日夜その日常生活の世話をしていることは前認定のとおりであるが、生涯右後遺症に苦しむ子を持つ親として右原告ら両名が被つている精神的苦痛が甚大なものであることは想像するに難くないところであり、その程度は、原告晋の生命を害された場合に比肩するものと認められるから、右原告ら両名は、被告に対し、右精神的苦痛に対する慰藉料を請求できるものというべく、その額は、諸般の事情に鑑み、各一〇〇万円をもつて相当とする。

四  結論

以上によれば、被告は、原告晋に対し、前記損害額の合計二、二七〇万五、二八二円及び右金員から弁護士費用二〇〇万円を控除した二、〇七〇万五、二八二円に対する本件不法行為時後であり、本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四五年三月一三日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告晋也及び同智加子に対し、慰藉料として各一〇〇万円あて及び右各金員に対する前同様の遅延損害金を支払うべき義務があることが明らかである。

よつて、原告晋の本訴請求は、右認定の限度で理由があり、原告晋也及び同智加子の本訴請求は、すべて理由があるから、これらをいずれも認容し、原告晋のその余の請求は、理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西内辰樹 田畑豊 木村修治)

別紙 計算書〈省略〉

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